ここは恵方

人を許すということ

最終更新日:2009年3月

レイラの事故から6年経ちました。あれから私は様々な経験をし、沢山の人の力を借りつつ自分自身を見据え、自分のペースで一歩ずつ進んで来ました。 そして今、ここにこう宣言します。

「私は かの獣医師を許します」

事故以降、ずっと心に留めていました。

私が人を憎むようになったらレイラは絶対に悲しむ。あいつの心はとても純粋だったから。だからこの怒りを憎しみに育ててはいけない。…でも、どうすればこの無念を昇華できるのだろう。

あのような獣医師が身近に存在するという事実は比較的早い段階で受け入れることができたにも拘らず、心の奥底にある怒り・憤りは解消できずにいました。心と向き合う対処を続けてきたおかげで9割方許せており憎しみの感情はなかったものの、最後の1割はどうしても受け入れることができませんでした。しかしある日、気付いたのです。

「ああ、あの獣医師に悪気はなかったんだ。ただ彼女は無知だっただけ」

当然といえば当然なことですね。確かに事後の対応はひどかった…ある意味、悪意とも取れる負の感情で返されたと思います。診察に臨む姿勢も治療を行う者としてあるまじきものだったと思います。でも、事故そのものは悪意があってやったわけじゃない。レイラに負の感情を持って接したわけではない。そこを分けて考えることを私の心は拒んでいたのです。私の抗議を嘲り笑い、謝罪もせず逃げた相手に対してこれを認めてしまったら、死んだレイラがあまりにも惨めだと思ったから。いや、裏返せば、自分自身があまりにも惨めだと感じていたのかもしれません。

それが、この言葉が浮かんだ瞬間、心の底にあった芯が一気に氷解しました。頑なだった心が全てを受け入れたのです。

また、この開眼により改めて認識しなおしたこともあります。私は獣医師本人からの謝罪は得られませんでしたが、その上司である病院長からの謝罪は得ていたのです。それがたとえ形だけのものであったとしても。そうです。もう十分です。これ以上何も望むべくはありません。

私は何を恐れていたのでしょう。相手を許したからといって失うものは何もないのに。それどころか、自分自身を苦しめていたのに。一体何が怖かったのでしょうか。

答えを探し、自分の生き方そのものをも見つめ、やっと出した答えです。やっと受け入れられるようになりました。これが今の私です。6年も掛かりましたが今、心は晴れやかです。罪を憎んで人を憎まずというのはこういうことなのかもしれないとぼんやり考えています。

無知は罪です。罪は償われなければなりません。ですから、償いは彼女が自分の人生の中で(どんな形であれ)やっていくことでしょう。事故を人生の糧と知るか汚点とするかは本人が決めることです。いや、そもそもあの事故を重大なミスだと認識できているのかどうか怪しいところですし、実際どうなのか私には知りようもありませんが、そこまでをも含めての「どんな形であれ」なのです。

ま、もう二度と会いたくはないですけどね。この先、彼女がどういう道を歩むかは私の知ったこっちゃありません。もう私とは関係ない人ですから。ただ願わくば、レイラの命が彼女の人生にプラスとなる影響を残していてほしいものです。レイラのためにも。いや、正しくは「私のために」でしょうね。

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尚、「許す」というのは彼女の行為そのものを「仕方ない」と思うことではありません。「仕方ない」という思いでは心は開放されません。それは自分の心を無理やり封印するのと同じだと思います。実際、それでは苦しいんです。

ここでいう「許し」とは事故を起こした瞬間、彼女にレイラを傷付ける意図はなかった。ただ彼女にはハムスターに関する技術も知識もなく、それを認識する能力すらもなかっただけという事実に対する許しであり受け入れであります。たとえどんなに事後の対応がひどくても、事故の直前には悪意はなかったということを受け入れる、それが私にとっての「許し」でした。そして、相手が自らの過ちを認めていない状況下ですから、これ以上踏み込むのは無意味だと思います。

もうひとつ、「事実を受け入れる」ことについても。私の考える「受け入れ」は、やはり「仕方ない」とは違います。患畜について無知な獣医師が自信満々で診療するなんて、許せないと思いますか?思いますよね。私だって思いました。でも、納得いかない話ですがそういう獣医師も存在するのが現実です。「許せない」で止まってしまっては、結果として現実を拒むことになります。「そんな人がいるなんて(そんなことがあるなんて)許せない!」と存在を否定してしまったら何も変えることはできないのです。

現実に対処するためには、

そういう獣医師も存在することを認識しそれを前提とした上で

それじゃ自分はどうしたいのか、そのために何ができるのかを考え
(あくまでも主語は自分であって、他者に何かさせたいというのは違います)

実際の行動をとる

これが私の辿り着いた「事実の受け入れ」です。これをすることで、動物病院の選別が明確になり、結果的に自分の求める病院と出会うことができました。生活の中でも似たような状況は常に現れますが、同じように「事実を認識し」「今の自分にできることを考え」「行動する」ことで断然、生活しやすくなります。ぜひお試しを。

もちろん、まだ整理しきれない感情はあります。それでも、これで一区切りついたと感じます。同じような思いをした方も沢山いらっしゃることでしょう。私とは違う答えを出す方もいらっしゃいます。でも決められた正解はないと思っています。正しいかどうかは、本人の心が真に楽になれるかどうかで決まるものですから。心の底からの癒しが起こればそれでOKなのです。だからもし今の考え方が自分を苦しめていると感じたら、率直に方向転換を試みることをおすすめします。

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