ここは恵方

「赦(ゆる)し」の先に見る人生の課題

最終更新日:2009年8月

本当に赦(ゆる)しているか

かの獣医師を「許せた」と思って間もなく、それを確認するかのような出来事がありました。彼女の“現在“をうかがい知る機会に巡り会ったのです。

それは、胸をグシャグシャに引っ掻き回されるような感覚でした。そう、彼女は何も変わっていなかったのです。レイラの経験を糧にするどころか、ひとりよがりの偏った「善」(多分、本人にとっては)で凝り固まっているようでした。そして病院からは何とも言えない嫌な雰囲気が漂っていました。慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉がピッタリです。昔はこんなじゃなかったのに…。

本人に会ったわけでもないし、診察を受けたわけでもないので決めつけないよう注意していますが、残念ながらレイラの事故は「いわれのないクレームをつけられた忌まわしき過去」として捨て去られたと推測しています。病院長の謝罪もやはりその場しのぎの方便だったのでしょう。

それからしばらくは非常に苦しみました。ほんのわずか期待していただけに、それとは全く違う結末を突きつけられ、もがきました。 そして落ち着きを取り戻した今、もう一度こう宣言します。

「私は かの獣医師を許します」

お前は本当に許しているのか。相手に何かを期待しているのではないか。期待を条件とした許しは本当の許しじゃないんだぞ。そう確認されたような気分です。
「相手が自分の期待に添わなければ許せないのか」
「そもそも自分の考える許しとは何に対してだ」
こう自分をみつめ直したおかげで、これで本当に心から許したと確信できました。その時は本当に辛かったけれど、その出来事に今は感謝しています。

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より良く生きるための「赦し」という手法

前のページでも書きましたが、私の言う「赦し」とは過去の行為についての許しです。「ノー」と意思表示したのに同じことをされ続けるのは「赦し」ではありません。「赦し」というのは事態改善のために行うものであって、悪い状態を続けるためにすることではありません。嫌な事をされ続けても我慢するのは本当の赦しではないと考えています。

過去の行為については許しても、これからについては変える努力をしなければいけません。今後も同じことをされ続けることを受け入れるのは誰のためにもならないことです。

私が伝えたいのは、より良く生きるための「赦し」であります。ですから、私は同じ病院に通いつづける必要もなければ、改心しなかった獣医師の「今」と関わる必要もありません。また逆に、改心しなかった獣医師の今を糾弾するのも、違うと思います。

自分の過ちを認めずに生きていくのはものすごく険しいイバラの道に見えます。自分の弱さを否定すればするほど、それは力を増し、魂を奥底から蝕みます。目を逸らせば逸らすほど恐ろしい形相で追いかけてきます。その苦痛と恐怖がさらに他者への攻撃性や傲慢さを増長させ、ますます人間関係は悪化し、自身の生き難さを増大させます。が、それも本人が選んだ人生です。レイラが与えたチャンスではあっても、既に飼い主である私を離れた課題であり、それをどう生かすかはその人の自由なのです。

要は、嫌なことは嫌だと示す。その上で過去の行為については許し、今後の関係を変えていく。示された「ノー」を相手が受け入れず同じことを続けるならそれ以上の関わりは断つ。変えていこうとする意志を見出したら共に成長の道をとる。その中に私の考える「許し」があります。そこを理解していただきたいと思います。

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「赦し」の先に見えてきた人生の課題

さて、これで本当に一段落…と思った矢先、その先にある課題が見えてきました。それは、こんな風に許しの対象が進んでいくのです。進むほどに難易度は上がっていきます。

獣医師=縁を切ることのできる赤の他人

義理の母=他人だけど身内

実の母=血のつながった身内

自分自身=決して縁を切ることができない存在

なんてこったい!最後の自分自身を許す、というのは超難問です。これから見たら赤の他人を許すのなんて初級に過ぎません。だって、距離を置くことも縁を切ることもできるんですから。

そして今、ひとつずつ課題をクリアし、自分と向き合う時期を迎えています。ちなみに、「ノー」を受け入れないけど縁を切れない相手に対しては、こちらの視点や行動を変えることで対処しています。

私は、自信がないとか、自分の存在に否定的だとかいうことはありません。自分の中にある価値観と照らし合わせて物事を判断しますので、他者との比較をあまりしません。よって、卑屈になったり他人を羨んだりすることもないほうだと思います(失敗してヘコむことは当然ありますよ)。現在の私は、何かしらのコンプレックスというか苦手意識はもちろんありますが、ダメな自分もそれなりに受け入れていて、自分のことも結構好きです。

それでも、自分自身を深いところで許せずにいます。それはもしかしたら、自分を含めた人間という存在に対する絶望感なのかもしれません。意識に登らないほど深い谷間に存在するこの感覚を変えるのは、とても難しい問題だと思います。まずは意識できるレベルに浮上させ(何をどう思っているのか認識し)、少しずつ解きほぐしていかなければなりません。

こんな風に書いてくるとすごく悟った善人みたいに見えるかもしれませんが、全く違います。単なる凡人です。他者を傷付けたり自暴自棄になったり、随分ひどい事もずるい事もしてきました。汚い自分も弱い自分も存在します。これからもきっと(気を付けてはいても)失敗すると思います。それでも、私が今ここにこうして存在できるのは、私自身も周りから許されてきたおかげなのです。だから今度は私が許す番です。

レイラが命を懸けて示してくれたこの課題、私は人生を懸けて解決していきます。それがレイラの意志であると信じているから。

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