ここは恵方 [SIDE:B]      過去の日記一覧

ここは恵方 日記帳

2004年11月30日

実家の祖母はいわゆる「クソババア」だ。そして動物が大嫌い。だから、実家で飼われていた犬も猫もいわれのない迫害を受けていた。かのバカ犬は人間が近づくと嬉しくて飛びつくのだが(嬉しさの余りたまにチビったりもした;;)、祖母に近づくとほうきで叩かれるので小屋の陰から覗いていた(←何もしてないのに)。トムに至っては座敷を歩いているだけで「このバカ猫!」と畳を叩かれた。ひどすぎる…。確かにバカだったけど悪いことしてないのに…。あまりの仕打ちに、祖母は絶対化け猫に呪われて死ぬんだと私達は思っている。その割には長生きだけどね…。

当然、野生動物に対しても同様。実家の周囲には様々な野生動物がいた。裏山にはキツネやウサギ、裏の畑にはサツマイモを囓るモグラ、空にはカラスだのスズメだのヒヨドリだのetc.、道路の側溝(またの名をドブと言う)の中にはタヌキ。学校に行こうと家を出て側溝の上を通り過ぎると溝の中をタヌキが走り去る。ちなみに、モグラの骨を掘り当てて「恐竜の化石だ!」と大騒ぎしたのは私です。

特筆すべきは当時保護動物だったハクビシンとの闘い。裏の畑に植えてあった果樹の実が熟す頃、ハクビシンはやってくる。1本だけビワの木があって、ヤツはそれが好きだった。明日になったら収穫だと判断して一晩置くと、そのベストなタイミングで熟した実だけきれいに食べていく。そして翌日、クソババアが鬼ババアに変身するのであった。

ビワの木の下に罠を仕掛けたり毒をまいたり。保護動物だろうが何だろうがお構いなし。さてその結末は…ハクビシンの勝ちなのであった(笑)。さすがの祖母もヤツの頭の良さにはかなわなかった。孫としては何とも複雑な気持ちだが。

屋根裏に巨大なドブネズミが3匹住み着いたときにも家の中や周りに毒団子をまいていた。他の動物、例えば自分ちの猫や近所の犬(結構うろうろと遊びに来る)が食べるかもしれないなんて、これっぽっちも気にしない。もちろん注意はしたが、そもそもが動物嫌いだからペットが死んでも屁のカッパだもんね。全く困ったバアさんだよ。

さすがにもう野生動物に闘いを挑むことはないが、クソババアは健在なのであった。以下はわざわざ言わなくても分かってるだろうけど、たまたま訪れた人が誤解すると困るので念のため。これはやって良い事じゃない。人間としてのモラルの問題であり、法律上の問題でもあるから。戦中戦後を生き抜いた強者の明治女だからこそ、今こうして笑い話にしてるのだから。

そういえば、毒団子を食べて死にかけた巨大ドブネズミ(ウサギ大)だが、トムが得意そうにくわえて見せに来たときには血の気が引いた。慌ててトムを引き離し、ネズミを処分したが、トムは何で自分が怒られているのか分からずに名残惜しそうだったな(←やめてくれ)。トムは頭も悪いし運動神経も鈍かったので(体固いし T_T)、獲物なんか獲ったことがない。柿の木に登ってみたはいいが降りることができずに鳴いて私に救助された程の鈍くささだもん。たまーにゴキブリを捕まえて見せに来たりしたが(←迷惑)。大きなネズミを捕まえて嬉しかったんだろう。でもね、動かない獲物を獲ってもあんまり自慢にはならないんだよ、なんて事はトムには内緒だ。

しかしバアさん、ほんと迷惑だな…。


2004年11月29日

すもものフンは大きさといい形といい、ハムスターセレクションと見まごうほどよく似ている。しかもそれをわざわざエサ入れの中にきっちり入れてくれる。やめてほしい…。夜のうちに本物の食品は持って帰るが、偽物(フン)は残されたまま。

夕方、そろそろお腹が空いた頃、エサ入れに何か入っていないか見に来たすももは、それをほっぺに入れて持ち帰った。すもも、自分で入れた偽物に騙されるな;;。色は違うが、ヤツらの見えてるんだか見えてないんだか分からないあの目では、きっと同じに見えるんだろうな。

すももの散歩が終わった後、ふと下を見れば巨大なウン(フン)が。散歩中だった小麦はそれを猛獣のマーキングとでも思ったのか、大きくよけて逃げていった。す〜も〜も〜〜〜〜、ウンを落としていくな〜〜〜。危うくウンが手に付くところだったじゃないか(←ウンをつかんじゃった事のある女)。上(ハム棚の3階)からウンを落とすのもダメ!それは二重の意味で禁止!!

サブレの野良寝開始温度は26度であることが判明した。24度に下がるとそそくさと箱に帰っていく。一方、小麦は…その時の気分で決めるようだ(←とことん大物)。


2004年11月27日

もし自分が独身で結婚紹介所に見合い相手を紹介してもらうとしたら、異性には何歳くらいまでの人を希望するか、という話をしていた。私は30代の男性がいいと思ったが、ハムアキの野郎はとんでもない事をぬかしがった。

30歳はある意味区切りだから20代だとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?アホか、おのれは!

本人曰く、「自分が結婚を意識していた年齢(20代後半)から自分自身は年をとってしまったが、相手に対する希望はその頃のまま」なんだそうだ。さらに、「自分が40代になってしまったら諦めて30代も希望に入れる」だと。「あくまで希望だから」とは言っていたが、妙にムキになっているところが情けなくて涙がチョチョ切れる(T_T)。

現実に30代後半の妻を持つこいつでさえこれだから、実際に独身でいる男性は身の程知らずに若ーい女性を希望するんだろうか。いや、逆に当事者はもっと現実的かも。…そうであってほしい。独身の友人達のためにも。

ハムアキ、てめーの腹と頭(髪)を鏡でしっかり見てみろ。どう見たって40歳前のおじさんだぞ。悪い事は言わんから目を覚ませ…。皆様、このアホンダラに愛のムチを。ハムアキ宛不幸のメール受付中(←ウソ)。


2004年11月25日

長野の友人からリンゴが届いた。売り物ではなく自宅裏で穫れたもののようだ。裏の畑にリンゴがなっているなんて、長野らしい。実家でも昔、リンゴの木を植えたことがあるんだが、気候が合わないのか育て方が悪いのか、ちっとも実が付かずに終わってしまった。ミカンは放っておいても山ほどなるのに。

裏の畑には何がなっているか友達と話したことがある。静岡(私の実家)ではミカンと柿。東京に住む従姉妹達は冬休みに泊まりに来るとよく「ミカン狩りだ!」と喜んだっけ。石川では梨と柿(その家は梨農家)。長野はリンゴとネクタリン。徳島では伊予柑とポンカン。何となく地域の特産品が並んでいるなぁ。

裏の畑という概念は農家を知らないと分かりにくいかも。通常、出荷用の作物を作る畑の他に、自宅で食べる野菜を少量ずつ作るのが裏の畑。そこには果樹も植えてあって、ネギや茄子や玉ねぎやその他、家によって色々。家庭菜園の広いものと考えればいいと思う(必ずしも家の裏にあるとは限らないよ)。余った野菜は近所で別の野菜と物々交換。野菜は買わなくても足りてしまうのがすごい。

もらったリンゴは、見てくれは良くないけど甘くておいしかった。さすが長野県(笑)。


2004年11月23日

夜12時。風呂から上がって居間に入ると小麦が小屋の中で静かに「出して」のポーズをとっていた。その1m横には新聞を読むハムアキが。おい、ボケーッと新聞読んでないで出してやれよ。以下は小麦のつぶやき。

アタシはね、11時半に出て来いって言われたから時間通りに出て待ってたのよ。ちゃんと「出して」のポーズ(巣箱の上に乗って2本足でこっちを見る)もとって。なのに隣のおじちゃんは出してくれなかったの。これはきっと差別よ。あの熊みたいなジャリ(すもも)は出すくせに。アタシが可愛いから嫉妬してるのね。

悪かったねぇ、ずっと待ってたのにね。ハムアキにはよーく言っておいたから。でもきっと直らないと思うけど。すももが出たいっていって大音響で騒いでもヤツは気付かないくらいだから、あんたの静かな主張じゃ尚更だ。別に小麦だから出さないって訳じゃないのよ。

その後、きっちり30分散歩させましたとも。翌日は眠かった…。


2004年11月22日

サブレの散歩を終わって、さて寝ようかと思ったら小麦が出てきて「出して」のポーズをとっている。仕方なく散歩させて…な訳はなく、もう夜12時だったので「小麦、もう遅いから散歩は駄目。明日もう30分早く起きてきたら出してやるぞ」と言ったら、翌日はきっかり11時半に起きてきた。

侮り難し、ハム耳。

掃除にかこつけてティッシュを巣箱に入れたらその夜は箱で寝ていた小麦。翌日、いつもの野良寝場所に向かって伸びたティッシュのじゅうたん(←引っ越し予定中)をこっそり元の箱に戻して置いたら、その夜も黙って箱の中で寝た。

扱い安易なり。


2004年11月20日

カーナビを使って神奈川県を走った。目的地は横浜で、東名高速を使わずに箱根を越えてその後はバイパスくらいなら使ってもいいかな、なんて思っていたらとんでもない。確かにね、箱根を越えて西湘バイパスを抜けるまでは良かったよ。でもその後の道は何なのさ。駅前商店街ばっかり連れて行きやがって。狭ーい道をループさせてみたり、訳のわかんない交差点を渡らせてみたり、2km程度の距離で一体何度線路を渡れば気が済むんだ?

帰りは帰りで川崎方面(家とは逆方向)に連れて行こうとするし、観光ポイントを3ついっぺんに言おうとして混乱してるし(←見所の近くを通ると勝手に案内を始める)。

だからカーナビなんて要らないって言ったんだ。頭悪すぎる(←憤慨中)。人間が道を良く知っていて細かく指示をしないと適切な道を選べないなんて、意味ないじゃん。

あまりに腹が立ったので、こいつには名前を付けた。『ポンちゃん2号』だ。理由は、悪さばっかりでろくな事をしないから。悔しかったら汚名返上できるくらい頑張ってみろ(←汚名なのか)。

ところで、カーナビにもしゃべりに個性があったら面白いかも。
「ここや、ここ。さっさと曲がらんかい!ボケェ!」←直ちにスイッチオフ
「あの、もし良かったら次を右折して頂きた…あ、あの、無理なら次でもいいですから…」←目的地に着けない
「……………………ぐぅ。」←寝るな
…やっぱり個性的なカーナビは要らない;;。


2004年11月18日

フィンランドで思い出した。書き損ねたネタがあったんだっけ。

帰国時、ヘルシンキから経由地のコペンハーゲンへ向かう飛行機の中でこんなアナウンスがあった。日本語にしたら多分、「当機はコペンハーゲン行きです」って感じなんだろうと思われる。
「○○××…ップンイガン!」(←アクセントは「コ」と「ヘ」)

コップンヘイガンって何ですか〜〜〜〜!?もしかしてコペンハーゲン(COPENHAGEN)の英語読みですか〜〜〜〜??「ハーゲン」なんてドイツ語っぽい読み方だもんなぁ。でもコップンヘイガンはないだろう(笑)。以来、コップンヘイガンがマイブームになっていた我が家。さあ、今日からあなたも、コップンヘイガン(←やめなさい)。

新聞に載っていた缶詰の広告を見て恐ろしいことを考えてしまった。その名も『キャンベルスープ』。開けるとポンがぎっしり詰まっていて、フタを開けた瞬間に一斉に自己主張を始める。しかも、今ならもれなくポン屋さん特製屋台セットと、さらに『ボッタクリ完全マニュアル』も。ひぃぃぃ。恐すぎる。ハムアキに至っては、「そんな缶詰は開けた瞬間バンッと閉めてぎゅーっと抑えて溶接する」(←そこまでするか)

メーカーさん、ほんの妄想なので怒らないでね(^^;←妄想夫婦


2004年11月15日
komugi sabure

またこんな、ぼっけぼけの写真を…(←ほっとけ)。

こうして写真に撮ると小麦とサブレの見分けってつかないなぁ。実物を見ればすぐ分かるんだけどね。顔(特に鼻面)も違うし、走り方も違うし。でもハムアキは散歩に出ているのがどっちか分からないらしい。愛情不足だ、それは(←愛情で見分けるのか)。

自治体から新潟中越地震に対する義援金募集の封筒が配布された。呆れたことに、○○円以上入れてくださいと書いてある。友人の住んでいる所でも同じ様な事があったようだ。くっだらねー。要するに、手間の割に実入りの少ない小銭は入れるなって意味だよな。手間だと思うくらいならこんな活動するなっつーの。もちろんこの活動には寄付しない。他でする(とっくにしてあるが)。

こんな封筒を印刷して自治体全戸に配布するくらいなら、そのお金をそのまま寄付すりゃいいじゃんか。全国各地で募金活動は行われているのだから、家に居ながら電話一本でできるドラえもん募金やその他の振込先をまとめて紹介すれば、そっちの方がずっと無駄がなくて効果的だと思うけど。善意の押しつけは嫌いだが、それを自己満足と認識できない人間はもっと嫌いだ。

ところで、地震王国・静岡県(←まだ来てないけど)の防災情報よりもお隣愛知県防災局の情報の方が分かりやすくて役に立つって、どうなのさ。かろうじて命のパスポートに時間を追ってとるべき行動が表示されているのが救いかな。でも、この表示じゃ字が読めないぞ…。もちっと頑張れ、静岡県。それにしても、30年も前からこれだけ県をあげて騒いでおいて、いざ地震が来たら「食料がない」だの「防災マニュアルが役に立たない」だのとなったら情けなくて笑えるだろうな…。やっぱり頑張れ、静岡県。


2004年11月14日

山梨でオーロラが現れた。ハムアキ、悔しがる。恵方、新聞を見ないように目をそらす。わざわざフィンランドまで行ったのにね。黒点の活動が活発だと言われた昨年に。

ちくしょーっ!いつか敵はとってやるぞーーーーー!(←敵なのか)

フィンランドって、良いトコだけど何かと高いんだよね…。


2004年11月13日

トムを看取る夢を見た。目覚めた時、私は幸せな気分に浸っていた。そして夢の内容をもう一度噛み締めた。なぜならば、その全てが「してやりたかった事」であり「実際にはできなかった事」であったから。夢の中とはいえ、それをしてやれた事に安堵したのだろう。

ハムスターを飼い始めるきっかけとなった雄猫トムの死。10年近く経った今でも、眠れない夜には最後に見た姿を思い出して涙が出る。やせこけてバサバサの毛並みになった哀れな姿を。

夢の中で私はトムを抱いていた。その姿は丸々として毛並みもきれいな、元気な頃のまま。トムの体はどんどん冷たくなっていく。でも心臓の鼓動を確認したらまだ弱々しくも脈打っている。今ならまだ間に合うかもしれない。トム、病院へ行こう。ちょっと遠いけど、あの時よりは検査も治療もできる病院を見つけてあるから。きっと良くなるよ(今度こそ死なせはしない)。

トムは首を振った(←あくまでも夢だからそこで突っ込まないように)。言葉は発しなかったけれども、いいんだ、このまま静かに眠らせてくれと言っているように見えた。私はトムをしっかりと抱きしめて頬ずりした。トムは穏やかな表情をしていた。そこで目が覚めた。

あの頃、実家から通える範囲には動物病院も非常に少なく、検査と言ったら尿検査くらいのもの。昔ながらの犬猫病院だった。今はそれでも何軒かできて、当時と比べたら内容も高度になってきたようだが(信頼できる病院かどうかは不明)。

しかしだからといって、今だったら違う病院へ連れていけばいいかと言えばそうじゃない。現実問題として、それが根本的な全面解決にはなり得ないって事は自分自身でよく分かっている。それでも考えてしまうんだよね。あの時、もっと詳しい検査・治療を施していれば、もしかしたら…と。

夢の中でトムは私の後悔を取り除いてくれた。最期はこの目で見守ってやりたかった、もう一度この手で抱いてやりたかった、…それを叶えてくれた。もちろん、夢だから自分の願望が形になっただけといえばそこまでだが。もうあんなみすぼらしい姿は忘れなよ、後悔なんてする必要ないんだよ、そう言ってくれたような気がする。

あの丸々した丸太のような姿(←トムは体が固かったので抱いた感触はまさに丸太 ^^;)は、今いる所で幸せにやっている証なのだろう。艶のある良い毛並みだったな。でもあれはちょっと丸過ぎかな(笑)。前回出てきたのは3年前、テンの危機的状況が明らかになる前夜の予知夢だったね。トム、これからもよろしく。


2004年11月12日

最近のすももは、ハムアキに登るのがお気に入りだ。ハムアキは迷惑だと言いながら嬉しそうだ(←父娘の触れ合い…か?)。私の洋服のボタンを囓ってよだれでベトベトにするのはやめてほしいもんだ。秋になって「チモシーを食べたい気分」になったらしく、チモシーの袋を囓る。これもやめてほしい。ちょっと入れてやったら喜んで食べていた(←牛だから)。スーダングラスは飽きたのか。

サブレは日によって寝床を移動している。暖かい日は野良寝、寒い日は箱の中。小麦は…毎日野良寝(T▽T)。風邪をひくと困るからやめてほしい。

サブレ、水を飲みながらウトウト寝るのもやめてくれ。死にかかってるかと思うじゃないか。

お前達、可愛いけど「やめてほしいこと」ばっかだな;;。


2004年11月10日

職場で地震の話をしていて気付いた。というか、思い出した。静岡県には原発があるんだっけ(←普段は全く頭にない)。それも、一番危険性の高いと言われている御前崎のすぐ側に。地震そのもので壊れなくても津波で壊れる可能性もあるしなぁ…。何で中部電力はあんな所に作ったのかな。県内どこも地震による危険性は一緒と言えばそこまでかもしれないが。ちなみに東部地区は中部電力じゃありません。特に伊豆なんかは、ほぼ東京みたいなものだから。今に24番目の区になるらしい(←ウソ)。

安全性は十分考慮されているはずだからチェルノブイリみたいな事はないだろうけど、地震で生き延びても被爆して死ぬかもしれないって考えるのはキツいぞ。原発のある当の浜岡町(現・御前崎市)はそのおかげで財政が潤っているからそのリスクも甘んじて受けられるだろうけど、そうなると気の毒なのは隣接する町だよなぁ。メリット無し・リスクのみだもん。

かつて東海村の放射能漏れ事故があったとき、その原発のすぐ近くに住んでいた友達が嘆いていた。彼女は東海村ではなく隣接する市に住んでいるのだが、東海村の住民に避難するよう広報があったとき、村民よりも原発に近い位置に住んでいた彼女たちには何もなかったんだそうだ。彼女は実家も他県の原発近くにあって、「どこへ行っても原発から逃げられないよぉ(T_T)」と嘆いていた。

原発が作り出す電力のお世話になって暮らしているからにはその存在を否定することはできないけれど、できることならもっと安全なエネルギー源にシフトしていってほしいものだな。

はっ!そういえば静岡には富士山もあるんだった(←やはり普段は忘れている)。東海大地震が起こって原発が壊れて富士山が噴火したら…最悪(--;


2004年11月9日

仕事でデータに連番をつける作業をしていた。…733の次が何故700!?788の次が788な訳ないだろう。勘定もできなくなったのか、自分>(T_T)

夕飯時、みそ汁をよそおうとして左手をふと見れば、なぜか茶碗を持っている。危うくよそってしまうところだったじゃないか。

違う違うと自分に突っ込みを入れながら汁碗に持ち替えて、さてよそおうとしたところ、お碗をみそ汁の中にドボン。ああ…。

おい左手、何やっとんじゃ。加えてここ数ヶ月、右手と左手の意志疎通が悪いんだよね。こら右手、左手を攻撃するな。君達、もしかして仲悪い?(←お前のアタマが壊れてるんじゃ)

脳ミソの検診をしてみたいと思う今日この頃。ネズミ型の空洞とかできてたらどうしよう。ちょっと嬉しいかも(←嬉しいのか)。


2004年11月7日

ハムアキと車で移動中、前を走る車のタンクに『小麦粉10,000kg』と書いてあるのを見つけた。
恵:「あの中に小麦が10t入ってたらスゴイぞ。」←小麦粉だってば
ハ:「下の方は重いだろうな。」←だから小麦じゃないんだって
恵:「きっとタンクを回転させて上下入れ替えるんだ。」←あり得ない…
ハ:「下になった小麦は激しく遺憾の意を表明するってか(笑)。」←………

楽天の新球団が『ゴールデンイーグルス』と聞いてハムアキがつぶやいた。「ゴールデンハムスターズだったら応援してやってもイイな。」

…その球団、頭悪そうだな。で、すごく弱そう。さらにトロそう。ボールが飛んできたらみんなで違う方向に走り出すんじゃないか?グラウンドに穴を掘るとか、隅っこで寝るとか、ひたすら周回するとか、ネットを登って脱走を図るとか(←野球をしろ)。

「でもマスコットグッズはすごく売れるぞ、きっと。」…そうだね。あんたみたいな人が買うだろうね。

人はこれを「妄想夫婦」と呼ぶ。

夕飯の支度でタマネギを切っていたら何やら足を踏まれたような覚えのある感触が。ハッと下を見ればやはり!

すもも、何でこんな所にいるの。よりによってタマネギ切ってる時に来なくても…。わざわざ人の足を踏んで通り過ぎないの。この手で触ったらまずいよなぁと思いつつハムアキに緊急連絡。どうやら小屋掃除中に脱走された模様。すももを野放しにしないでくださいよ。


2004年11月5日

田臥君、やったな。すごいぞ。

何の話かと言えば、米国バスケットボールのプロリーグ(NBA)に身長173cmの日本人選手が出場、しかも得点を決めたってことだ。今風に言えば「絶対ありえな〜〜〜〜〜い」事をやってのけたんだ。バスケットを知らないとこれがどれ程の快挙であるか理解し難いかもしれないが。

日本にはプロリーグさえないし、世界におけるNBAのダントツぶりは、野球の大リーグなんて目じゃない。日本の、いや世界のバスケットボール選手にとってNBAは雲の上の存在ですらある。アテネ五輪で勝てなかったのはNBAの主力選手が出てなかったからで、出ていたら敵なしだったはず。今でもNBAと世界とのレベル差は歴然としているのだ。そこに参戦したことだけでもすごいのに、更に得点を決めたってのに新聞の扱いは小さすぎるぞ。まあ仕方ないか。日本におけるバスケ人気から考えたらこんなものかな。

173cmって、日本のバスケ界でもすごいチビなんだよ。社会人リーグで女子選手のスタメンで一番小さい人がこの位か、もっと大きいかも。野球と違って身長差がそのまま得点に結びつくバスケでは、(最高レベルの技術を持ったプレイヤーが集った中で)技術が小ささをカバーすることは不可能だと長い間言われてきたし、今でも誰もがそう考えている。ある意味これはバスケットにおける常識(もちろん、もっと下のレベルならカバーは可能だけど)。それが覆るかもしれない。

彼が高校生の頃、ちっちゃいのにすごい上手いヤツがいるなぁと思っていた。丁度、バスケ漫画の「スラムダンク」が流行った時期だと思う。大人になってもすごいヤツのままだねぇ。

自分の技術は海外で身に付けたものではなく、日本で中学生の頃から磨いて積み重ねてきたもの。だから、体が小さくても日本の技術が通用することをみんなに見せたいだなんて、ニクいこと言ってくれる。頑張れよ。全力でNBAを堪能しておくれ。君は小柄なバスケットボールプレイヤーの希望の星なんだ。

私は中・高と部活でバスケをやっていて、その後も同好会の形で25歳までバスケに関わっていた。ずっと弱小チームだったけど、バスケットボールというスポーツはとても好きだったし面白いと思った。泣いて笑って喧嘩したチームメイトとの日々、ボールがスパーンとネットを揺らした瞬間の爽快感やボールを手にした時のワクワク感、そして競ったときの鳥肌が立つような緊張感は今でも心の深い場所に刻まれている。

sumomo

親戚でレタスをもらった。これで一番喜んでいるのは草食獣のすももだろう。本当に野菜好きなんだから。

ところで小麦、そろそろ野良寝をやめて巣箱で寝てくれないかな。もう夏じゃないんだからさぁ。敷物もない隅っこで新聞を被る放浪生活はやめろっつーの(T_T)


2004年11月3日

実家に親族が集まった。そこで話題になるのが地震が来たらどこに逃げるか、どこで生活するか、って辺りが根っからの静岡県民。叔父や祖母達は昭和21年頃に起こった東南海地震の話で盛り上がっていた。その時には近所の屋根瓦が落ちるほど揺れたそうだ。昔の地震は大きかった、最近の地震は昔ほど揺れなくなってかえってそれが不気味だとも言っていた。

私は子供の頃から静岡に大きな地震が来ると言われて育ったので、阪神淡路大震災の時には「何で関西なんだ?」とさえ思った。今まで何の警告もされていなかった地域だったのに。そして「今度こそ、次は静岡だ」と思っていたのに今回の新潟中越地震。でも、これを受けて親族はみんな「今度こそ来るぞ」と身構えているようだ。私も含めて兄弟達は、東海大地震は自分の世代が生きているうちに必ず来ると認識している。祖母に至っては、「もう何年か来ないでくれれば自分は死んじゃうからいいもんね〜」と思っている様子(←バアさんはまだ当分死にそうにないが)。

実家はもし被災しても集落内で自給自足しながら十分暮らせると思うのだが、作業小屋や離れなど築何十年も経った古い建物もあるので、そこに居るときに地震が来たらえらいこっちゃとも思う。我が家でも具体的に状況を想定してみたりしている。通れなくなるであろう道や崩れるであろう地域、どの方向なら進めるか、避難所には動物を連れていけないからやはり車の中で暮らすか、etc.、これは自分たちが生き延びることを想定しているが、まずその前に家が倒壊するような揺れだったらどうなるか、とも考えてみたり。

被災した方達は、限界まで辛抱せずに頼れるところは頼ってほしいと思う。新潟にボランティアに来ていた女の子(阪神の震災では助けてもらう側だったそうだ)がテレビで言ってたけど、「お互い様」だと思う。今の新潟の姿は、その子にとっては「かつて来た道」、私にとっては「いつか行く道」。みんなが各々のできる範囲で助け合おうとしているのだから。

長野出身の女の子が「静岡にだけは住むまいと思っていたのに(地震が来るから)、住んじゃってますぅ〜〜〜。」と嘆いていたが、腹をくくって備えをしなさいと言っておいた(笑)。


2004年11月1日

紗羅さん宅のネム君がとうとう眠りに就いた。短命な彼らにとっては長い長い闘病生活だっただろう。心臓病の発作に耐えてよく3ヶ月も頑張ったね。蓮華ちゃんの突然死を心に抱いたまま頑張ってきた紗羅さんには少しでも穏やかになれる時間を持ってほしい。

幸せだったよね。沢山愛されたもんね。自分のためにこんなに悩んで考えてくれる人がいてくれて、最高の一生だったよね。

闘い終えた魂よ、静かに眠れ。



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