ここは恵方 [SIDE:B]      過去の日記一覧

ここは恵方 日記帳

2003年12月31日
キャンズ キャンズ

夢にまで見た集合写真。こういうのが撮りたかったのだ。実物大よりちょっと大きいかな。そろそろ住処を分ける予定なので、こんな写真を撮れるのもこれが最後かも。

デジカメはとても気軽に撮れて良いなぁ。修正も削除も簡単だし。でも、本当のシャッターチャンスを逃してはいけないので、いつも一眼レフは用意している。小さなものは、プリントに残すならやはりこっちのほうがきれいだから。

昨日設置した SAME GAME にハマっている。やり始めると面白い。でも、ランキングに登録されている人達はどうやってあんな高得点を出しているのだろう。ま、どうせゲーム音痴の私には極意を聞いても高得点なんて出せないけどね。

今年が始まった頃、自分がホームページを作る事なんて絶対にないと思っていた。ただのハムスター愛好家だし、面倒くさそうだし、ネットとは一線を画した付き合いをしていたから。でも、今こうして運営をしている。そのきっかけが哀しみに満ちていたとしても、これは紛れもなくレイラのおかげ。レイラがいなかったらここは存在しなかっただろう。

立ち上げから9ヶ月。たくさんの出会いがあった。お付き合いいただいた皆さん、ありがとう。来年もよろしくね。


2003年12月30日
キャンズ キャンズ

ものすごく写真の腕が悪いことを示しているこの写真。お前達、動きが速すぎ。(←動いてないじゃん)

右の写真でかじっているのはニッパイのペレット。自分の顔より大きいペレットをいつまでもいつまでもいつまでも囓り続ける。育ての母様曰く「粗食(ペレット中心)で育ったから好き嫌いはあまりないと思いますよ。」との言葉通り、何でも食べる。私の手は・・・囓らなくても良いのだが、甘噛みしている姿は、それはそれで可愛い。

2つ入れておいた廻し車の内、片方の回りが悪くて使いにくいようなので、かつて妖怪ポンが使っていたものと交換した。それはもう8年以上も前に買ったものなのに、何かと使いやすかったりする。

向かって左を向いて走るのがサブレ、右を向いて走るのが小麦・・・のような気がする。自信はナシ。実物はこの写真ほど色の違いはなく、もっと微妙。

ほんの3日しか経っていないが、ちょっと大きくなったと思う。ハムアキが帰ってくる頃にはもうコドモじゃなくなってる・・・なんてことはないか。毎晩「大きくなっちゃった?」と電話が来るが、1日でそんなの大きくなるわけないだろうと思う私であった。


2003年12月29日

仔ハムをもらいに行ったお宅でのこと。仔ハムを選びやすいよう別ケースに取り分けられていた母ハムを見て、ハムアキがつぶやいた。
「お母さん(母ハム)が可愛い・・・。(=母ハムがほしい!?)」
やめなさいってば。お母さんはもらえないの。もう。

ヤツはオトナのメス好き。あの丸いお尻がたまらないのだそうだ。チビの小麦を見て「ふふん、まだまだコドモだな(←だってコドモだもん)。お前のお母さんは可愛かったぞ。(←だから何さ)」と言っていたのを私は聞き逃さない。私は決して口には出さないが(←出しとるがね)、ヤツは「ヘンタイ」だと思う。

昨日観察したところでは、比較的色が薄い方が活発で廻し車をものすごい速さで回す。お尻の形で見分けがつきにくいのだが、これが多分オスのサブレ。茶色の強い方は食べてばっかりいて廻し車はタラタラと回す。多分これがメスの小麦。当然こっちの方が体型が丸い。

一応、雌雄の傾向にもそれぞれ合っているようなので、多分そうであろうと思われる(←自信はナシ)。ゴールデンなら雌雄が分かりやすかったのに、こいつらは難しい・・・。しかも、色だって2匹を比較して分かる程度の違いなので、1匹だけ見てもどっちの色か全くわからん。今後の変更もあり(笑)。

夕べは保温方法を少し変えたのだが、だいぶ暖かかったようでトイレから引っ越して野良寝していた。2匹いる場合は、引っ越しにも互いの合議とか必要なんだろうか。どうやって「ここへ引っ越そう」と決めるのか。謎。(←考えるな)

どちらも、自分の頭ほどもある大きなペレットをひょいとくわえて持ち帰る。何てたくましい。でも、それをいつまでも囓っているのは小麦。だから丸いんだって。

ハムアキは昨日から所用があって出掛けている。大みそかには帰ってくるのだが、「あんたが帰ってくる頃には2匹とも大きくなっちゃってるもんね。この小さな可愛い姿はもう見られないもんね。」と言ったらウルウルしていた。やっぱりヘンタイだ。


2003年12月28日

買ったばかりのデジカメで早速写真を撮っている。

キャンズ キャンズ

サンタがうちに・・・(←サンタはもうフィンランドに帰ったでしょ!)・・・間違えた、仔ハムがうちにやってきた。

ポンと同じ色のメスを1匹もらうつもりだったのに、つい出来心でオスメス各1匹ずつもらってしまった。生後3週間余りのコドモだ。ちっちゃい!うちに慣れるまでの数日は一緒にしておいた方が安心するかなーと思って同じ小屋に入れてある。オスが「サブレ」でメスは「小麦」と命名したものの、一緒にいるとどっちがどっちか分からない(笑)。

1時間余りの移動にも関わらず、疲れた様子もおびえる様子もなく元気そうだった。昨夜は1時間に1回出てきては、食べて遊んで寝て、を繰り返していた。人を怖がらない・・・可愛がられて大きくなったんだね。でも、ケージから鼻を出してフンフンしていたので私の指を近づけたら、ダッシュで逃げていった。こんなもんか、やっぱ。彼らにとって私は「知らないヒト」(T▽T)。まだまだ道は長い・・・。

出てくる時は2匹一緒。巣に帰るときもやっぱり一緒。まるで集合写真のようだ。2匹もらって良かったなーとしみじみ思う。きっと、こういう光景が見たくて出来心が働いたと思われる(笑)。

オスを選ぶときに、オスの兄弟3匹を手の平に乗せてもらった。3匹で同じ方向を向いて黙って背中をなでさせてくれた。あんな経験、もうできないかも。ああ、なんて可愛いんだろう。両手いっぱいのハムスターを一度でいいから抱きしめてみたいものだ。(←やめなさい)

巣箱にと思って入れてやった小さな箱。最初はそっちに入っていたが、トイレにしようと思って入れたカバー付きのプラスチック容器がいたくお気に召したようで、今朝になったら引っ越していた。朝、小屋を覗いたら、ぎっしりティッシュを詰め込んだトイレから2匹で鼻を出していた。

兄弟でも性格は違うだろうし、お前達はどんな風に成長していくんだろうね。大事にするから、1日でも長く一緒にいておくれ。


2003年12月25日

少し悲しい話。今年亡くなった同級生が2人いた。ひとりは中学のクラスメイト、もうひとりは幼なじみ。どちらにも妻と幼い子供がいた。

クラスメイトだったK君は、自殺だった。「うつ」だったとも聞いた。格好つけだけどいいヤツだった。結構仲が良くて、ASIA(エイジア)という洋楽ロックバンドのAstraというLPを借りて以来、今もたまにASIAは聴いている。次に会ったらそんな話もできるかなと思っていた。

うつの自殺衝動は激しいということだ。それを抑えられるのは・・・人・・・なのだそうだ。彼には苦しみを吐き出せる場所はなかったのだろうか。

幼なじみのT君は、シャイな野球小僧だった。悪性リンパ腫だったのだそうだ。東京で暮らす長男に代わり、実家の家業を継いでいた。死ぬことはさぞかし悔しかっただろうな。

今までにも、部活仲間の娘さんが6歳で事故死したり、海外NGO活動中の事故で友人が亡くなったり、成人式を迎えることなく病死した後輩もいる。なのに、「生きたい!」と思ったことのない私は、こうして生きている。私よりずっと強く「生きたい」と願った人はいたはずなのに。人生は皮肉だ。

子供にとって、親はかけがえのない「愛」の対象。どんなにうるさく思っても、どんなに「ダメ」な親だとしても、憎しみさえ感じても、それでもやっぱり心の奥底では愛しているのだと思う。憎しみは愛情の裏返しだから。私の父親だって子供に対して良い父親ではなかったけれど、植物状態でもいいから生きていてほしい、ここに存在していてほしいと思った。尚のこと、小さな子供を抱えたK君には生きていてほしかった。石にかじりついてでも。誰のためでもない、彼自身のために。

来年はこんな悲しい訃報を聞かずに過ごせますように。

友人が送ってくれた播磨特産品セット。日本のへそに位置するから「へそ」まんじゅう、懐かしい味わい。柚子味噌は茹でたジャガイモや豚肉につけて食べたらとってもおいしくて、味噌をごはんにのっけてそのまま食べたいくらいだ(笑)。古代米の黒米は白米に混ぜるとまるでもち米のお赤飯。粘りがあって赤紫。古代米が栽培されなくなって後年、この色を出すために小豆が使われるようになったとか。伊豆半島でも黒米か赤米かを栽培しているらしいが、食べたのは初めて。

播磨って良い所だなぁ。(←何て単純)

もうひとりの友人からは、発疹を心配して植物性石鹸が送られてきた。「ミント」の香りに密かに笑う。思い出すんだよね、うちの「ミント」を(笑)。その心遣いと同じ、優しい使い心地だった。

呼吸器科へ今年最後の診察に出掛けた。この2週間の経過を説明すると、発疹について「普段と何か違う薬を飲んでなかった?」と問診が。そうなんだよね。普通、こうやって問診するものだよね。あの皮膚科はしなかったけど。話をしながら、やっぱりR先生っていいよなぁとしみじみ思う。もう発疹はほとんど消えた。呼吸器の状態も安定している。やれやれ。

後2日で仔ハムがやってくる。ああ、待ち遠しい。


2003年12月24日

来年の年賀状は版画だ。何故、版画か。実家の蔵から、中学まで使っていた彫刻刀が出てきたから。(←単純)

彫っていると結構面白くて、学校の図工の時間を思い出した。切れが悪くなっているので力がいったが。

できあがったものを見て思う。・・・センスない。来年は申年なので一応サルに関係する絵にしたが、これならば自分の顔を彫った方が笑いがとれて良かったかも。これは内緒の話だが(←またかよ)、私は来年、年女だ。「申」と書いて自分の顔・・・とても年長の方には出せない。

実家の蔵はシロアリにやられて取り壊しが決まったらしい。お習字の道具やら色々出てきたが、彫刻刀と中学のクラス文集だけ持ってきた。墨と硯は母親が使うと言っていた。蔵はまるでタイムカプセルだ。

そう言えば、座敷わらしの住むおじさん宅も年明けから解体が始まる。座敷わらし・・・迎えに行かなきゃ(笑)。是非ともうちにおいでいただきたいぞ。

給湯機のメーカーは、結局修理することなく設定だけいじって帰っていった。私の抗議から、のらりくらりと逃げたように思うのは私だけか。「また何かあったら言ってください。」という発言にカチンときて「呼ばずに済むようにしてほしいもんだね!」と言っておいた。この怒り、どうしてくれよう。本当にこれで不具合が起こらなくなるのだろうか。

製品に不具合が出たとき、担当者の都合を言う(「忙しい」という言葉)、その場しのぎの対応で本当の原因を突き止めようとしない、使い方が悪いと言いたげ、話をそらす、といった事があったら、そのメーカーとは早く縁を切った方が良い。自社製品のせいで迷惑をかけているユーザーに対して、こんなのは論外だ。これは、この世界で働いていた私が言うのだから間違いない。こういう会社はやがて潰れる。(←私のいた会社は既に亡い)

クリスマスイブなので、何か良いことがないかなと思う私であった。


2003年12月23日

世の中クリスマスだなぁ。年賀状、早く書かなきゃ。ふっ。(←その「ふっ」は何だ?)

例の皮膚科に行ったものの、肝機能もアレルギー反応を示す数字も正常で理由は不明。「症状は軽くなりました?じゃあ良かったですね。」・・・おい、それだけか。患者の顔を一度も見ることなく、皮膚さえ見ることもなく、こちらの言葉は途中で遮って医師が言いたいことだけ言って、診察は30秒で終わった。他に患者はいないのに。どうりで空いてるはずだ。こんな病院、何十年通ったって病気は治らないぞ。

脇の周辺を残してほとんど消えたから良いが、あの皮膚科にはもう行かないもんね。動物病院選びで培った医師を見る目をなめてはいけない。そういえば、この前は不機嫌そうな対応だったのが、昨日は気持ち悪いようなベタベタ笑顔だったな。向こう向いたままだったけど。

それにしても給湯機のメーカーめ。腹が立つったら。症状の確認にも来ないで、ユーザーに電話で指示して原因を確認させるってどういう了見だ。(←まだ怒ってる)

「今日はちょっと無理ですねぇ(←でもだからと言って明日行くとは言わない)。毎日あちこち飛び回って忙しいんですよ。」・・・いかにも同情ひきたげな物言いにゲンナリ。そんなに不良品ばっかり出してるのか?給湯機ではトップクラスのメーカーじゃなかったっけ?もう何でもいいから、今度こそ直してくれよ。

日本の産業(工業)が駄目になったと言うけれど、自社製品の修理どころか不具合の対応すら「しようとしない」のだから、それも当然。かつて同じ様な世界で働いていた私は、あまりに情けないメーカーの対応に出会う度、こう思うのであった。製造業者(特に大手メーカー)よ、たまには自らを振り返って見なさいよ。(←さらに怒っている)

そう言えば、某通販雑誌を通して買った空気清浄機のメーカーは2社とも、事後の対応も責任持ってしっかりやってる。何件か初期不良が発覚した段階で自発的に回収・点検や交換用パーツを送ってきたりした。

不具合にも、品質検査で引っかかる発生率のもの(比較的発生しやすいもの)なら発売前に直せるが、数十・数百万台売れないと発生しないような稀な不具合もあるから、販売後の不良品というのもある程度は仕方ないと思う。でも、そんな不具合は発生するはずがないとうぬぼれているメーカーや、あっても隠そうとする企業もあるからね。そんな会社は淘汰されて当然。というか、淘汰されてくれ。

・・・年賀状書こうっと。(←早く書けよ)


2003年12月22日

給湯機がまたおかしい。4月に40万円もかけて買い換えたのに、もう何度も不具合を起こしている。

何が腹が立つって、おかしいって言ってんのに理由を付けてなかなか来ないメーカーの対応。挙げ句の果てに「クレーマー」呼ばわりされるし。もう何度も経験して、ほとほと嫌気が差していたのに、またメーカーと話をしなくてはいかん。ふっ。(←投げやり)

今回はさすがに電気系統がおかしいと認めたが、修理に来るのは3日も先。なめとんのか。

夏前から起こっていた不具合も、結局は同じ所に原因がありそうだ。メーカー側は今まで話を聞こうともしなかったが。夏に風呂が使えなくてどれだけ迷惑だったことか。

高い物を買うときにはよく調べましょう。販売店の対応が良くても、物自体がダメで保証体勢もダメなら使えません・・・(T_T)


2003年12月21日

これは内緒の話だが(←どの辺が内緒なのだ)、ハムアキは11月からダイエットをしている。2膳食べていた夕飯を1膳に減らして、腹筋・背筋・他筋トレも(ちょっとだけ)している。

フィンランドで寒い中を歩き回ったら1kg減ったそうだ。結構、チーズやらお菓子やらも食べたのだが、寒中の運動はエネルギーを使うのだな。私も密かに1kg減っていたのだ。へへへ。もうすっかり元に戻っちゃったけどね。

これも内緒の話だが(←だからどこが内緒だっつーの)、最近ハムアキは抜け毛を気にしている。育毛クリニックの広告を真剣に読んでいることを私は見逃さない。

フィンランド用に買ったダウン90%のジャケット(モンベル・ベンティスカはとてもとても温かく、風も通さないので重宝しているのだが、このダウンが布目から少しずつ抜けていくのだ。抜けた羽毛を見つける度に「あ!毛が!毛がまた抜けた!毛がっ!!」と叫ぶと、とても嫌がるので面白い。

ポン専用となっていた鉄アレイは、その後ハムが誰か使うかもしれないと思ってずーっと部屋の隅に置いてあったが、誰も使ってはくれなかった。今は筋トレ用にハムアキが使っている。「あ、ポンの鉄アレイ使ってる」と言うと「これは元々俺のだ!(使ったことなかったけど)」と所有者を主張していた。ポンのために買ったんじゃなかったのね(笑)。

やがて来る仔ハムのために、最初の1週間はどれを巣箱にしようかとあれこれ空箱を物色し、大きさを想像してはニヤニヤする日々。


2003年12月20日
プリン

昔話をもうひとつ。

先のポンが3歳になる前、特に病気もしていなかったがさすがに余命は長くないだろうと思い、後継者を迎えた。閉店セール中のホームセンターで買った・・・というよりも引き取ったようなもの。ケージの使用例として飼われていて、子ども達にもてあそばれていたジャンガリアンの成体。

長生きしてくれるよう、長い名前を付けた。「プリン・クリストファー・ア・ラ・モード」(笑)。でも大きくてまん丸で、「プリンでぶりんコロコロリン」と呼ばれていた。おもちゃにされた日々がよほど怖かったのだろう、うちに来てから最初の2週間は全く姿を見せなかった。でも、一度慣れると手の上におとなしく乗っていてくれた。凶暴なキャンベル(笑)しか知らなかったので、これは非常に嬉しかった。プリンはとても可愛かった・・・。

プリンの異状に気付いたのは4ヶ月後。ポンがもういつ死んでもおかしくない状況に入った頃だった。明らかにおかしいと思うほどの多飲多尿に陥り、大きかった体もみるみる痩せていった。尿糖が検出され、糖尿病と診断された。プリンが死んだのはそれから2週間後。何もかもが手遅れだった。

元々体も大きく、飲水量もポンより多めだった。だが、それが平均値にギリギリ入っていたために見逃した。甘いものを与えたときの喜び様もポンの比ではなかったが、その意味も今なら分かる。当時の比較対照はポン1匹。せめて、あの時の自分にドワーフの飼育経験がもう少しあれば、もっと早く異状に気付いてやれたのではないかと思う。

獣医さんには、「ジャンガリアンは先天的に糖尿病を持っているものがいるから、決して飼い方が悪いのではないですよ。」と慰められた。これ以降、長い名前を付けるのはやめた。(注:情報源によって、糖尿病に関わる遺伝子を持つ種類は「ジャンガリアン」「キャンベル」「チャイニーズ」とバラバラ)

「美味しいものばっかりやったんじゃないの」・・・こんな知人の言葉には随分傷付いた。確かに、甘味も多少は与えたけれど、後天的に糖尿病を発症するほどの食生活は断じてしていない。でも、少なくとも私の与えた食生活でプリンは発症してしまった。・・・遺伝的に糖尿病の危険性があると知っていたら甘いものなんか絶対に与えなかった。その場合の食餌療法にどれだけ効果があるかは分からないが、知ってさえいればプリンの食生活は違ったはずだ。

プリンの糖尿病がどこから来ているのかは分からない。先天性か後天性か、親からの遺伝か個体の事情か、etc.・・・。プリンの出生さえ分からないのだから当然だが、親兄弟の情報を追跡できればある程度は見当が付くだろう。少なくとも、プリンの血統は繁殖させるべきではないと思う。それを伝える術はなかったけれど。

プリンと一緒に売られていたメスがいた。閉店セールの時には別々のケージに入っていたが、その前に見たときには同じケージにいたような気がする。もしプリンの子供をお腹に持っていたら・・・もしプリンの糖尿病が遺伝するものであれば、あのメスを買った人は糖尿病のハムスターを複数抱える事態となる。下手をすれば糖尿病の遺伝子が延々受け継がれていく羽目になりかねない。どうか、安全な繁殖を。私の願いはここから始まっている。

で、プリンがいなくなって私たちがしたこと、それは・・・ペットショップに走ること(笑)。「ポンももう長くない!早く、早くしなければ!」・・・一時もハムスターのいない生活に陥りたくないばかりに、もう必死。やって来たのはゴールデン白黒パンダ。

プリンが死んだ7日後、ポンもこの世を去った。体が大きければ長生きしてくれるかと思って飼い始めたゴールデン。実際にはちっともそんなことはないのだが、そのパワフルな暴れっぷりに悩殺された私たちであった。

キャンベルの子供を譲っていただけることになった。ポンが死んだとき、新聞の掲示板にまで「キャンベルください」と出したっけ。嬉しいなぁ。ハムにまた会えるのも、それが久しぶりのキャンベルなのも。どうしよう、あまりに嬉しくて眠れない(笑)。


2003年12月19日
ポン ポン ポン

右の写真を見た友人がつぶやいた。「これ・・・何の生き物・・・?まさか、ハム・・・?」・・・ハムだよ。悪かったな。

昔話をひとつ。

最初に飼ったキャンベルの「ポン」(写真)は本当に健康で、病気もほとんどしなかった。2歳半で一度ハゲができたが、菌や寄生虫などは見られず、ビタミン剤の投与と食生活の改善で治ってしまった。この頃から白内障は進行していて3歳になる頃には両目とも視力を失っていたが、ヤツはそんなものをものともせずに暮らしていた。

3歳になる直前、またハゲができた。この時は老齢を原因とした免疫低下で細菌に感染していたもので、抗生剤の投与で治ったものの、腸内細菌バランスが崩れて下痢をした。私の対処が遅れたために危険な状態にまで陥ったが、不死身のポンは還ってきた。

ポンをもらったとき、ヤツは既に1歳のオトナだった。当然、性格も確立されていて、ヒトの立ち入るすき間ナシ。子供の頃に飼っていたゴールデンと大して違わないだろうと思っていた私は、ガブリガブリとよくやられた。餌を入れるときはポンが見ていない隙を狙わないと、走ってきてガブリとやりやがって脱兎のごとく逃げていくのだ。この手が侵入者ではなく美味しいものを運んでくる手だということはちっとも学習してくれなかったのさ(T▽T)

ラブリーな見た目とは裏腹に、マイペースでワガママで小心者、しかもどう猛(笑)。これがポンだった。でも、そんなヤツのためだけに一眼レフを買った私だった。

ポンは最後の夏をこんな風に過ごした。朝8時、私がヨーグルトを入れてやると起き出して、食後に「外に出せ」と自己主張する。出してやると部屋を1周してからお気に入りの鉄アレイにぺったり寄り添って、夕方まで過ごす。時々、位置をずらして冷たい感触を新たにする。途中、お昼に何かもらうこともあり。午後4時、巣に帰ってゴハンをもらって寝る。

年をとってもポンはポンなのであった。

残暑の頃、老年性の下痢で効果のある抗生剤はないと診断された後もこうして3週間暮らした。その生命力には・・・獣医さんも舌を巻いていた。

ポンの最期は・・・前夜にはいつもと違う時間にも関わらず散歩を要求し、部屋を一回りしてさっさと家に帰り、ゆでとうもろこしを口にくわえたまま息絶えていた(笑)。大好きなとうもろこしを抱えて、何と幸せな往生だろう。全ての生物がこんな大往生できたらいいのに。

今でも、「キャンベル」という言葉を聞くと私たちは顔を合わせて笑い出す。バカでもチョンでもポンでも(←おい)可愛い、これは我が家で最高の愛情表現を示す言葉となっている。

オーストラリアの「キャンベラ」、ニュージーランドの小さな無人島「キャンベル島」、英国人に多い「キャンベル」さんという名字・・・キャンベルという種類のハムスターを最初に発見したのは「キャンベル」さんだったのではないだろうかと、勝手に推測する私たちであった。

私の発疹はだいぶ治まってきた。赤みもひいてきたし、かゆみも楽になって夜中に目を覚ますこともなくなった。医者は今いちでも薬はそれなりに効いた・・・かな。(←暴言)


2003年12月18日

殺虫剤の噴霧をした。ハムのいない隙にゴキブリめを退治しておこうと思って。

噴霧はとてもお手軽で良いのだが、その後の拭き掃除が大変。今はいないけれど、近々やってくるであろう小さいヤツが歩く可能性のある場所、人間が歩いたり触ったりする場所、床からドアの取っ手からスイッチから、家中拭いてまわる。全てはハムのために。

人間に対する安全性の試験はされているが、小さなネズミに対する安全性は確認されていない。薬剤がほんの少し足の裏に付いたとして、ハムスターがそれをなめても大丈夫とは言えないので、いつになく真剣に掃除する。で、人間のことを考える前に大体力尽きて掃除が終わってしまう。人間用の食器なんかは「使う前に洗えばいいや」になるのは、私の性格か。

ハムスターがいた頃は(と言っても滅多にしなかったが)気候的に梅雨の雨の日を選んで、噴霧中は車の中に一緒に避難していた。懐かしや。

ところで今回、大きな失敗を犯してしまった。それは・・・空気清浄機をONにしたままだったこと。我が家の優秀な空気清浄機君は、薬剤噴霧中に全力で空気を「浄化」してくれたものと思われる。彼のことだから最大出力で頑張ったことだろう。あぁぁぁ、噴霧した意味が・・・(T▽T)。

掃除が終わった今も、彼は何が気に入らないのか、全力で空気を浄化している。悪かったよ。私が悪かった。もう噴霧中にONにしたまま置いていかないからさ。ご機嫌直してよ。

ところで、ふと思う。私はゴキブリには冷酷に殺処分を与えるが、これも命の差別だよな、と。ゴキブリにしてみれば、「なんで自分をそんなに嫌うのだ〜〜〜!何にもしてないのに〜〜〜〜!!」てな気持ちだろう。生まれ変わったときにゴキブリになったら・・・やっぱり悔しいだろうなぁ。でも、こればっかりは・・・許せ、ゴキブリ君。南無南無。


2003年12月17日

一昨日の劇場版 犬夜叉 時代を越える想いを見ていて思いだした。(←そんなものを見てたのか←見てたさ。ほっとけ)

フィンランドの書店でチェックした日本の漫画たち。「犬夜叉」「らんま 1/2」・・・高橋留美子さんが人気か?他にも「G.T.O」「LOVE ひな」他少年誌のコミックスがいくつか、英訳されてペーパーバック(外国の本によくある、厚くない表紙のB5版)となって売られていた。少女漫画が見当たらないのは・・・ちょっと寂しい。

どれも1冊20ユーロ前後。日本円で2500〜3000円程度。高い。とても子供の小遣いで買える額ではない。「らんま 1/2」を全巻揃えたら一体いくらになるのだ。これは日本漫画オタク(笑)でなければ買えない値段だ。ドイツの熱狂的な日本漫画ファンならテレビで見たことがあるぞ。フィンランドにもいるのだろうか。

別の棚に大友克宏さんの「AKIRA」が。こちらは日本と同じ大きなサイズで英語版、値段はやはり20ユーロ程。このAKIRAは世界中で高い評価を受けていると聞いたことがある。「AKIRA」に限らず、日本の漫画は評価が高い。作者の哲学を盛り込んだ長編小説のようなストーリー、人物の美しさ、背景等の描画表現の豊かさ。アニメも漫画も日本が世界一だと思う。内容のない作品もあるけれど、それはやはり読む側が見極めて選ぶべきだ。

その書店はビルの5階まで全て本で埋まっていた。別の階で獣医学の本を発見。別に探したわけではないが、たまたま入ったカフェの横が獣医学コーナーだったので。ざっと見て40冊近くあったと思う。ほとんどが犬と猫。後は、馬が5〜6冊、家畜全般が2冊、エキゾチックアニマルはうさぎの1冊のみ。寂しい・・・。ま、こんなもんか。

ガーデニングのコーナーには和風庭園の本も。しかし、この寒い地域でガーデニングするのは難しそう。

発疹は少し治まってきた模様。もらった塗り薬は効き目があまり強くないので、寝る前はちょっと不安だったりする。布団でぬくぬくするとかゆくなるんだよね。こんな時は心理療法が有効と、自分に言い聞かせる。「大丈夫、だいじょうぶ、ダイジョウブ。かゆくならな〜い。」・・・我ながらちょっと怪しい。


2003年12月15日

近所の皮膚科に行ったところ、「肝機能障害か1型アレルギーのどちらかでしょう」と言われ、採血して来週検査結果を聞くことになった。

ここ1ヶ月の体調から考えたら、肝機能が落ちているのかなという気はするが。子供の頃煩ったアトピーともちょっと違うような気がするし。アレルギーだと長く通院することになるので、できればそれは避けたい。

で、今日行った病院の感想。ここが動物病院だったら、次は来ないかなぁ・・・という気がする。とりあえず、対処は間違っていないし、設備等も整っているが、診察で問診がほとんどない。肝機能障害を疑うなら、せめてここしばらくの体調くらい聞いても良さそうなもの。血液検査で全てが分かるとは言っても、経過を聞かないのはいかがなものか。

カチンとくる一言は、良く言えばざっくばらん、悪く言えば配慮に欠ける。たった1回の診察ではどちらとも判断できないけれども。ま、薬を塗ればかゆみも止まるし、これで治まってくれるならいいや。(←人間の病院にはとことん適当)

星関係のページを見ていたら、見つけてしまった。日本で撮られたオーロラの写真を。確か、10月に起こった大規模な太陽フレアの影響で低緯度の地域でもオーロラが見られたというのは耳にしていたが・・・まさか八ヶ岳で撮影されていたとは・・・。

フィンランドまで行ったのに見えなかったオーロラが、なぜお隣の山梨県で・・・(T▽T)

次は八ヶ岳に行こうかな(笑)。興味のある方はアストロアーツ ニュース10/31号へどうぞ。


2003年12月14日

もう何日も体中に発疹が出ている。最初は気付かなかったが、お風呂に入るとかゆくなるのでふと見れば腕に赤い点々が。よく見れば胸からお腹にも点々が。そしてさらによく見れば、足にも背中にも。うひゃー。キモチワルイ。見ると余計にかゆくなる〜〜〜。

普段はそれ程かゆくないので病院にも行かずにいたが、薬を塗ろうとしたハムアキがこれを見て「ウゲゲ、これはひどい。早く医者に行け」と言うので渋々週明けに行こうと思う。

これがハムスターだったらとっくに行ってるんだけどね。人間はこれ以上通院が増えるとそれはそれで負担なのだ。何回か通って治ればいいんだけど。内臓から来る発疹に似ている。あーあ、やだな。

ペットショップにハムスターを見に行くも、運命の出会いはなく、クリスマス商戦の賑わいに乗せられるようでそのまま帰ってきた。クリスマスが終わったら・・・と思ったが、その後にはお年玉商戦がある。ハムスターはお年玉で買える「お手頃商品」。そこで売れ残っていたら買おうかな・・・これではいつまで経ってもうちにハムが来ないじゃないか。

デジカメも、目当ての性能を持つものは結構大きいことが判明した。カバンに入れても今までのバカチョンより場所をとる。「次にこれを使うのはいつだろう」「旅行に行くとき」「じゃ、当分使わないな」「・・・使うときになったら買おうか、その時にはもっと小さくなってるだろうし」という事で、買わずに帰ってきた。何をしに行ったのだ。

機械音痴の姉の所には何故か、デジカメも高性能プリンタもスキャナも揃っている。・・・不毛だ。(←だったら買えよ)

さて、皮膚科でも探すとするか・・・。面倒くさいな・・・。


2003年12月11日

寿命の短いネズミ達。同腹の兄弟をたくさん飼っていると必ず、死が連続して襲ってくる時期がある。私はそれが怖くて、飼うときはできるだけ月齢の離れたものを飼うようにしていた。ミントとこてつがバタバタと倒れただけで、もう十分だ。とても耐えられない。

しずみんさんを見ていると、どれだけ辛いだろうと思う。同じ様な状況にいる人もきっと沢山いるだろう。1匹が闘病生活をするだけでも充分に大変だ。ましてや、それが命の終わりに向かって進んでいる状況であれば、尚のこと。それを何匹も続けて抱えたら・・・。

自分にできる事ってないなぁ。私の言葉では慰めにもならないだろうと思うと、黙って見守るしかない。病気のペットを抱えているあちこちの友人達をいつもそっと見守っている。

現像したフィンランドの写真を見てハムアキがつぶやいた。「これは3000円も出してプリントするような代物では・・・ない・・・な・・・。」

あのー、それ、ほとんどあんたが撮影したものだと思うんだけど。確かに駄作(笑)ばかり。で、ついにデジカメ購入を決意。

ハムスターの写真についてはやはり一眼レフにかなうものはない。何と言ってもプリントしたときの画質が違う。人間の写真はどうでも良いので昔のバカチョンを使っていたが、ネガがもったいないほどの愚作しか撮れない(T_T)私たちにはデジカメが良いようだ。

1分くらいシャッターが開放できるヤツが良いとか、接写できるのがいいとか、色々注文をつけていったら高くなりそうだ(汗)。シャッターを開放する・・・それはオーロラ用か?一体いつ使うつもりだ?自問自答(笑)

それにしても今回、重い思いをして一眼レフを持って行かなくて良かったな。だってオーロラ出なかったんだもん。(←根に持っている)


2003年12月9日

出発の前日、実はそれまで働いていた職場での勤務最終日だった。と言っても期間限定の仕事なのでそれ程愛着があったわけでもなく、淡々とごあいさつして帰ろうと思ったら、花束をもらってしまった。

花束・・・財布が同じ人間(それはハムアキ)にもらってもあまり嬉しくないが、赤の他人にもらうとそれなりに気分がウキウキした。何てげんきん(笑)。花束が、というよりも、その厚意が嬉しいといったところか。

で、翌日から留守になるしこの花をどうしようと思案した結果、帰りに寄ったR先生の病院へ寄贈。受付の方は恐縮し、看護婦さんは喜々として、先生は笑っていた。でも、かといって診療代をおまけしてくれることはない(←当然だ)。ま、家に置いて枯らしてしまうよりは、人目に付くところに飾ってもらった方が花も嬉しかろう。

ところで、帰国時に機内で読んだ新聞で知った衝撃的なニュース。イラクで外交官が狙い撃ちされて亡くなったとか。出発当日の事件だったので知らなかった。それでも自衛隊を送り込むつもりか。もう日本は充分に「敵」とみなされているのに。

もし徴兵制度があって自分の夫や兄が戦地に送り込まれたら・・・彼らが殺されるのも嫌だし、彼らが人を殺すのも嫌だ。でも祖父母の時代はそれが当然だったし、徴兵制度のある国では今も行われていることで、それは戦闘を積極的に認めているからこそ。日本の場合は、他国の民と闘うために自衛隊に入ったのではないであろうに。当事者やその家族の思いは・・・。

小泉君よ、行くなら君が行きたまえ。自分は年寄りだからというのなら、息子を派遣したまえ。嫌だろう?なら自衛隊だって行かせるなよ。いつまでも米国にヘイコラしてるんじゃないよ。自立しなさい。もっと他にやるべき事も手段もあるだろう。


2003年12月8日

フィンランドは毎日・・・霧雨が降っていた。ヘルシンキでも北極圏入口のロバニエミでも!!!なぜ雨なのだ。せめて雪くらいにしてほしかった・・・。

出発前、現地情報を見たときには確かにロバニエミは氷点下だった。それも-16度とかすごく寒い気温だった。なのに着いたときには市街に雪はなく、1週間ほど前に降ったのであろう除雪された雪の塊がポツリと残されていた。郊外に出たら確かに雪は積もっていたし、路面も凍結していたが、もしかして今年は暖冬なのかといぶかってしまった。まるで、長野に春スキーに出掛けたら雨だったという位の、いや、それよりもずっと暖かかったかもしれない。

12月は曇りが多くてオーロラは見えないことも結構あるらしいとは聞いていた。が、しかし!雨だとは・・・。雲が突然切れてオーロラが姿を現すという事もあるらしいので、それでもずっと空を見上げていた。でもやっぱり雲が切れることはなかった。結局、オーロラは見えなかった。

最終日、ヘルシンキ出発の数時間前、フィンランドに来て初めて太陽光を見た。その日は・・・カンカンに晴れていた(T_T)。帰りの飛行機の中で久しぶりに日本語の新聞を読んだら、テレビ欄に「オーロラの彼方に」などという番組があって、自宅に帰ったら新聞にカナダ政府観光局の広告が載っていて「オーロラ遭遇率98%」などと書かれていた。これは嫌がらせだろうか・・・。二人で顔を見合わせ、きっと私たちは残りの2%だとうなずきあった(笑)。

天空を身近に感じるほどの空には出会えなかったけれど、帰りの飛行機から見た星空はとてもきれいだった。この世の生き物は死んだら空に昇ると思っているので、今までに死んでいったもの達は全てあの宇宙空間のどこかにいるのではないかと思えた。私の姿が見えるだろうか。私はもう大丈夫だよと伝えたかった。

自宅近くまで来たとき、ふいに、こてつが家で待っているような気がした。本当はずっと家にいたのかもしれないね。私はもう大丈夫だから、お前は行くべき所に行きなさい。迷子になったら困るでしょ。もう心配しなくていいよ。

オーロラは見られなかったけど、フィンランドで自分のネズミ好きを再確認したし(笑)、冴え冴えとした星空を眺めて何だかとてもスッキリした気持ちで帰国した。オーロラはまた見に行けばいいさ。フィンランドで見たものの話は別コーナーで紹介していこうと思うので乞うご期待。




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