ここは恵方 [SIDE:B]      過去の日記一覧

ここは恵方 日記

2003年11月27日

旅行の支度がちっともできていない。なのに日記なんぞを書いている。いや、とりあえずパスポートやら何やらはあるし、防寒具もそれなりに揃えたから何とかなるだろう。

海外旅行というと、もっと時間をかけてプランを練って準備万端にするのだけれど、今回は思い立ったのも最近だし、ハムスターがいなくなって頭の回線が切れ気味なので、こんなに適当なのだ。きっとそうだ。

病院で薬をもらったおかげで、鼻水や他の症状は止まったけれど、やっぱり咳は出ている。これは・・・仕方ない。元が悪いのだから。今回は吸入薬も持って出掛けよう。

土曜日に出掛けて次の土曜に帰国予定。機中1泊は普通だとしても、寝台列車の車中2泊(北極圏への行き帰り各1泊)というすごいスケジュールを組んでしまったので、ネタになるトラブルがいっぱい出てきそうだ。12月2日から4日辺り、お暇があったらロバニエミ(北極圏の基点となる街)のWeb Cameraをクリックして、私が映っていないか探してやってください。きっとカメラに向かって手を振っているはず(笑)。(←ほんとか?)


2003年11月24日

とうとう石油ストーブ登場。と言っても、まだ当分点けないだろうけど。

毎年、これを出す度に二人で思い出し笑いをする。初めてストーブを買ったとき、うちにはゴールデンのオス・メス各1匹とジャンガリアン1匹がいた。そのうちのメスのゴールデンがストーブにいたくご執心で、使い始めるまでの数週間、ストーブを満喫していた。↓こんな風に。

テン

登ったり潜ったり、救出班は大変だった(笑)。もう、危ないんだってば。

すき間を封印され、登ることができなくなっても、諦め切れぬ様子でストーブの周りをウロウロしていた。あの姿を思い出すと顔がほころぶ。

その後、うちで飼われたメスのゴールデン達はみんなストーブ好きだった。何故こんな物にこれほど心惹かれるのかは謎。石油ストーブに秘められた秘密・・・いつか明らかにしてみたいものだ。

旭川の大雪のニュースを聞きながら、静岡って暖かいんだなとつくづく思う。ただ、風が強い分体感温度は低くなるけれど。そう言えば、子供の頃よく目にしていた霜柱やバケツの水が凍る風景はもう長らく見ていない。温暖化は確実に進んでいるのだな・・・。

鼻をかみすぎて鼻が痛いぞ・・・。


2003年11月22日

どうやら風邪気味のようだ。体調が悪いのはいつもの事だし、今まで、風邪だと思って風邪薬を何日も飲み「治らないなー」と思っていてダマされたことが度々だったので、気管支炎のことばかり心配していたら裏をかかれてしまった(--;。そう言えばここ何年も風邪をひいてないな。風邪をひく暇もないほどアレルギー症状に占領されているからだけど。

風邪とアレルギー症状は見分けがつきにくい。のどの痛みや体のだるさ、微熱といった症状までは全く一緒。違うのは鼻水が出るか否か。後は、咳の出方もちと違う。私の場合、アレルギーだと5〜7日目に突然咳が出始めて止まらなくなり、夜間の救急に駆け込んだときには気管支炎を起こしている。その間わずか数時間。咳が出たら手遅れだ。風邪だと咳と咳の間隔は結構長く、悪化するまでにも日数がかかる。今回はのどが痛くなってから5日目でほんのちょっとハナが出た。ま、治りかけということか。

フィンランドは、昨年リタイアしたF1レーサー、ミカ・ハッキネンの故郷なのだそうだ。首都ヘルシンキ北部、バンター空港近郊の街で生まれ育ったらしい。5歳で始めたカートの練習場なども残っていて、熱烈なF1ファンは「ハッキネン詣で」をするそうだ。

車好きのハムアキに行きたいかと聞いてみたが、ヤツはハッキネンよりシューマッハの方が好きらしい。・・・あのスーパー兄弟ね。ドイツは私も行ってみたいけど。何と言っても「エロイカより愛を込めて」の拠点だし。(←それはちょっと視点が違う)

北欧はスキー競技のワールドカップやヨーロッパ選手権開催地になると知ったので、今年の開催スケジュールを調べてみた。残念ながら、行きのフライト中にフィンランドで第1回(確かジャンプだったかな)が行われ、次週は別の開催地に移るようだ。ジャンプの船木選手のように空を舞えたらいいなぁ。長野五輪に行けなかったので、もし見られたらいいなと思ったが、残念。

ハムアキが図書館で借りてきた、ヨーロッパカルチャーガイド北欧―白夜の国に魅せられてという本はとても面白かった。ガイドブックではなく、様々な分野で北欧と関わってきた12人の著者が、自らの経験と歴史的背景などを重ね合わせた深い考察力で北欧各国を読み解いていく。充実した福祉下にあっても日本人女性と同じ様に仕事と家庭の両立といった悩みを抱えて生きている女性達の姿、北欧料理の話、アレルギー体質に深い配慮のある社会であることなど、読み物としてとても興味深い。北欧4ヶ国の国民性の違いや、お互いの市民感情など、兄弟喧嘩のようなちょっとほほえましい対立(?)も書いてある。

実は、色々準備を進める中で、列車の座席やホテルの客室などに「アレルギー」という分類があるのを不思議に思っていた。この場合のアレルギーというのは、はっきり分からないが、例えばタバコの煙に含まれる物質や室内塗料などに含まれる化学物質のことではないかと思う。ホテルだったら羽毛布団も考慮されるのかな。レストランの食事にも「小麦抜き」や「乳製品抜き」などのメニューが通常メニューとして載っているそうだ。

ネットの体験記と出版物の情報を併せて収集すると、お互いの欠点をカバーしてより視野の広い公正な情報になると思う。何を調べるにしても。旅行で一番楽しいのは、この予習段階かもしれないね。


2003年11月20日

夕べは晩ご飯を食べながら「夫婦再生の道を探る」というTV番組を見ていた。そこには、一時は定年後離婚の危機にまで陥った夫婦が、お互いの関係を修復してより良いものに変えようとする姿が映っていた。夫が妻に花束を買って帰る場面を見てハムアキが言った。
「たまには花束買ってこようか」
つい、即答してしまった。
「いや、いい。」

ハムアキ、ぶりぶり怒る。当然と言えば当然か。でも、私は切花が苦手なのでもらってもあまり嬉しくない。きれいだと思うし、花が部屋にあるのは気分も良いが、枯れて茎が茶色になって捨てる最後の瞬間がたまらなく苦手だ。ヤツは、買ってくるだけで水も換えないし最後の処分もしない。どうせ私がやらなきゃいかん。・・・気が重いのだ、あの、「ゴミ」になる瞬間が。

両手いっぱいの花束よりも、ダンボールいっぱいの漫画のほうが嬉しいと言ったら、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえと言ってすねてしまった(笑)。もっと言えば、かつて手放してしまったあしたのジョーエースをねらえが入っていると踊りだすほど嬉しいし、萩尾望都全作品があったりすると感激の余り涙を流すのだが、あんまりぶりぶり怒っているのでそれ以上言うのは止めた。

だけどね、言わせてもらえば、女性はみんな花束が好きというのは男性の勝手な思い込みだよ。男性がみんなプラモデルや車が好きなわけではないのと同じ。そんなことでぶりぶりされても困るんだけどね。どうせあげるなら、その人が本当に欲しいものの方がいいでしょ。

北欧の情報をあちこち見ていたら、素敵な写真に出会った。とんとの森というサイトで、旅行記の中の「-35℃の楽園」は雪にかすむ風景がとても美しい。こういう写真は撮れないなぁ。

旅行会社の不手際で、申し込みから何日経っても何度連絡しても手配が進まない状況だったのが、やっと解消した。いい加減、他に頼んでキャンセルしようかと思っていた所だ。旅の情報を教えてほしいなんてムズカシイ事は言わないから、せめて申し込みフォームから申し込んだものはその通りにさっさと手配しておくれ。

それにしても、この体調はいつまでこのままなのだろう。そろそろ上向いても良い頃では?自分の体ながら、ほんと、嫌になる。


2003年11月14日

日通のおじさんはいつも私がトイレに入っているときに来る。受け取りを逃すと後々面倒なので、仕方なくトイレの中から「はーい」と返事をする。玄関の横にあるので聞こえるらしく「宅配便でーす」と返ってくる。「はいはい、ちょっと待ってくださーい」と答える。

おじさんは今日もまた、トイレにいるときにやってきた。なぜ!?しかも、今日のは印鑑の要らないメール便。多分、郵便受けに入らないから手渡ししようとしたんだろうが・・・。おじさん、私の行動見てた?(←見てる訳ないじゃん)

届いたのはLonely Planet Finlandという英国の旅行ガイドだ。日本のガイドブックに情報がないときには利用している。以前は、海外旅行先で買うか、個人輸入か、東京の某有名書店に行くしかなかったが、今は便利な時代になった。かつては苦労して手に入れていたものが、今はフォーム送信ボタンを押すだけで手に入る。

北欧というのは西欧の国々に比べると馴染みのない国なのか、はたまた日本人の個人旅行者が少ない国なのか、とにかくガイドブックの情報量が少ない。Lonly Planet ではフィンランドのみで1冊の本が、日本のガイドブック(地球の歩き方 北欧)ではデンマーク・ノルウェー・スウェーデン・フィンランドでやっと1冊。まあ、無いよりはマシだけど。

海外のガイドブックも情報の読み方には気を付けないと失敗する。西洋人と日本人では好みも旅のスタイルも違うからだ。宿にしても食事にしても、これらに書かれている紹介文は実際には私の感覚とずれることが多い。特に Lonly Planet は費用を抑えて長く旅をする人向けの本なので、短期間の旅しかできない日本人はその辺を押さえた上で読んだ方が良い。

ミントが消え、こてつもいなくなり、どんよりとしていた我が家がにわかに活気づいている。バブルのようだ。ま、それもいいか。


2003年11月13日

「北の大地・女・恋愛」という3つのキーワードで思い出すことがある。もう10年近く前のこと。親友だと思っていた友人に切り捨てられた・・・とてもつらかった思い出だ。

彼女とは浪人時代を同じ寮で過ごした。同じ日に生まれたせいか何かと気が合い、様々な相談をしあっていた。それぞれの道を進んだ後も親友だと思っていた。大切な存在だと信じていた。

ある時、彼女が結婚すると連絡をくれた。彼女は2浪した上に6年のカリキュラムを終えなければ卒業できない学科だったので、26歳でもまだ学生だった。

結婚する前に私と旅行に行きたいと言うので、手続きを引き受けた。アジアのビーチリゾートに行こうと決まった。だが、そろそろ出発の1ヶ月前になるので最終確認をしようとしたのに、突然連絡が取れなくなってしまった。何がなんだか分からずに、結局旅行はキャンセルした。

2ヶ月後、1通の手紙が届いた。彼女からだった。婚約者のDV(ドメスティックバイオレンス=配偶者や恋人による暴力)が狂気の沙汰に達したため、北海道へ逃亡し、そこでしばらくのんびりした。今は戻ってきて裁判で係争中だと記してあった。私への言葉は何もなかった。ましてや旅行のことなどこれっぽっちも覚えていないかのような、ただ自分の辛さをつづってあるだけの手紙だった。

DVに耐え難い苦痛を感じていたのであろう事は理解できた。落ち着いたら連絡をくれるのかと思って待ったが、全く音沙汰はなく、半年後とうとう私は彼女の連絡先に電話した。返ってきたのは他人事のような言葉と「彼の事は悪夢のようであり、その時に関わっていたものとは全て縁を切りたい」という別離宣言だった。私の存在はかつての悪夢を連想させる忌むべきものであるから関わりたくない、と。

二股かけて付き合っていた中からその人を選んだのは彼女自身であり、私は「どっちにしよう」と聞かれた時にもう一人の人を勧めた。その人とは全く面識もない。なぜ自分が切り捨てられるのかも理解できないまま、親友だと思っていた友人を失ってしまった。

その後の3年ほどは彼女と同じ名前を見るのもつらかった。アドレス帳も写真も捨ててしまった。やがて、自分の生き方を見つめ直すにつれて何度もかつての出来事を検証し、傷も癒えていった。捨てたと思った写真も思いがけず出てきた。地元を離れての浪人生活も私にとっては大切な人生のひとコマ。彼女のために思い出を捨てるのはもったいないから。

DVが原因で失踪した友人は他にもいる。でも、その友人は落ち着いた所で連絡をくれた。「ごめんね、ごめんね」と泣いていた。ギリギリの所でとった自らの行動が周りを振り回してしまった事を自覚していた。その友人とは今でも付き合っている。そうそう会えないけれども大切な一人だ。

DV自体は許し難い行為だと思うし、他に道がなければ逃げることも必要だと思う。ただ、男のことを忘れたいからその時付き合っていた人間と一方的に縁を切るという考え方には全く同意できない。傷付けられているはずの自分が、同じように他人を傷付けていることに気付いてほしい。

異性に対する考え方が違っても付き合っていくことはできたが、同姓に対する考え方が違ったら致命的だった(今思えばそれが同性であれ異性であれ、同じ事だったのだが)。振り返れば彼女はいつも私に「メリット」を求めていた。私はひたすら精神的つながりを求めていた。その時は気付かなかったが、利用された事も振り回された事も度々だ。こんな二人が続くはずはない。利用価値のなくなった人間は切り捨てる・・・これが彼女の価値観であり、その人を親友と認識した自分に人を見る目がなかったのだと今は思う。もし今、彼女と同じ種類の人間が近づいてきたとしても、友人にはなり得ない。

心には今も傷跡が残っている。もう触っても痛くはないし、傷が悪化することもない。ただ、当時の苦しさを思い出すと傷跡が少しピリッとするだけ。傷が癒えるまでは死にたいほど辛かったけれど、自分を知ることで、付き合う人を適切に選べるようになった。数は少ないけれども、人間関係に対して同じ価値観を持つ友人がいる。とても幸せなことだ。骨折すると、折れた骨が治った時には、より太く強くなっている。人の心も同じように傷付いて癒える度に強くなっていくのかもしれない。

遠く離れて暮らしているおかげで、彼女が今どうしているのかは全く分からないし、知りたいとも思わない。彼女は浪人当時の他の友人たちとも縁を切ったようだ。可哀相な人。そうやって何かあるごとに大事なものを切り捨てていくのか。願わくば、彼女自身が自分の原点を見直して共依存から脱し、周りを振り回すことなく生きていけますように。


2003年11月10日

今の仕事は今月で終わる。この1ヶ月のひどい体調で最後まで勤め上げられるのかと思っていたが、何とか終わりそうだ。

月が変わったら北欧へ行くことに決めた。フィンランドの厳しい自然環境に身を置き、オーロラを見て、心を切り替える。失恋した女の再出発みたいになっているが、まあ似たようなものか。そして帰ってきたらハムスターを飼うのだ。

寒い所に行くと咳がひどくなる可能性はあるが(私の体は気温や気圧の変化に大きく反応する)、海外旅行中は症状が軽減することの方が多いので多分大丈夫だろう。

毎朝、激しいめまいと吐き気に襲われてうめき声を上げながら起きあがる。しばらくは意識もうろうとしているが10時過ぎると体も動くようになる。軽い胃腸炎と朝だけの低血圧、それに体が重くてだるい感覚。症状としてはひどいように見えるが、アレルギー体質の自分の体との付き合い方を知らなかった頃はもっと悪い症状が出ていた事を考えたら、それ程でもないだろう。その頃は肝臓や他の臓器にまで負担がかかり機能が低下していた。今でも、左目の下には当時の痕跡が残っている。毎日出ていた眼の下のくまが、そのままシミになって残ってしまった。

心電図の乱れが年々大きくなっているのは気になるが、その辺はR先生と話をしているので不安はない。肺と心臓のつながりは強く、肺の機能が低下すると心臓は肺の分まで頑張って働いてくれる(逆の場合もある)。でもそれが長く続くと心臓も疲れて、心電図に乱れが出る。私の場合は一時的なものなので心疾患ではない。

本当は、呼吸機能を高めてやればいいのだが、1月から始めた水泳は5月以降中止している。無理をするとかえって心臓の負担になるから。もう少し体の状態が良くなったらまた再開したい。

さて、フィンランドの情報収集をしなければ。集中できるものがあるのは良いことだ。


2003年11月7日

気が付けば、外はすっかり秋。でもうちの庭にはエンゼルストランペット(朝鮮朝顔)が一斉に花開いている。冷夏で咲きそびれて、9月の残暑で初めて花芽をつけ、こてつがいなくなった頃から必死に咲き始めた。熱帯気候で生きる植物なので普段ならこの時期に枝を落として冬を越せるようにしてやるのだが、まだ新しい花芽を作って咲くつもりだ。必死で咲いている姿がいじらしい。いいよ、好きなだけ咲きなさい。でも寒い冬が来る前に枝を落とさせてね。

私はまだ、ミントとこてつの写真に向かって朝晩の挨拶をしている。時々、「今どこにいる?何してる?」と話しかけては涙をこぼしている。ペットが死ぬ度にこんなになっているわけではない。こんな状態は多分初めてだ。死んだハムスターの写真を飾っていることからして異例の事態だ。

いつもなら、その時にきちんとお別れをして感情を放流して心の整理をつける。でもレイラの事があってからそれができなくなってしまった。心の奥底に押し込まれた感情は、時間の経過とともに何倍にも膨らんで胸を圧迫する。後悔や懺悔の気持ちは少しずつでも放出してやろう。そして最後に残るのは寂しさだけ。

純粋な寂しさは別のもので癒やすことができる。だけど悔いは別のことでは癒せない。その出来事に正面から向き合って、傷口を開き、中に溜まっているものを一度出してやらないと一生治らない。同じような思いを抱えているのなら、文章にまとめてごらん。最初は心が痛いけど、その傷を抱えたまま生きていくのはもっと辛いから。

友人の一人には花を育てることを勧められた。彼女は今年の2月に飼っていたゴールデンハムスターを突然失い、その傷から立ち直れずにいる。子供の頃に飼っていたハムスターには良い環境を与えてやれなかったから、大人になって初めて飼うハムスターには最高の環境を与えてやりたいといつも言っていた。とても大事にしていた。でも、一晩のうちに状態が急変して突然死してしまった。

臨終のときにいてやれなかったことを、1歳半にも満たない若さで死なせてしまったことを、彼女は悔いている。それが彼女のせいではなくても、彼女は自分を許さない。高校以来の長い付き合いだが、気丈な彼女の涙は初めて見た。彼女はもう二度と動物は飼わないだろう。彼女の心の傷は限りなく深い。「あなたのせいではないよ」・・・私にはそんな言葉しかかけてやれない。

冬が来たらまたハムスターを飼おう。誰かくれるという人がいれば嬉しいが、募集を出すほどの気合いはない。いつものペットショップに行けばいいさ。うちで生まれたヤツらが世界で一番可愛かったことに変わりはないし、彼らの代わりなどいないけれど。私はやはり温かで柔らかな動物が好きだ。




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